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「ウゴウゴ化する世界」 第2回 小泉文人氏

■「ウゴウゴ化する世界」とは?

世界は見えにくくなったと思います。
有名/無名を問わず、明確な目的をもたない表現/情報が私たちのまわりに蠢いているような気がします。

その状況をひとまず「ウゴウゴ」と呼ぶこととします。

そうした見えにくい世界=ウゴウゴした世界を、多様性のある豊かな世界と捉えるのか、はたまたホワイトノイズと化した均一な平面世界と捉えるのかで、これから私たちがとるべき行動は大きく変わってくると思います。
本企画では、表現することを生業とした人たちへのインタビューを通じて、このウゴウゴした世界との付き合い方を探っていきたいと思います。

建築家にとって大成するためにはメディアが欠かせない存在となっている。プロモーションや自身をプロデュースする術に長けた建築家が建築業界で活躍する。その結果、建築はメディアウケするもの、読者ウケするものがつくられるといったことが想像される。
このようなスタンスとは距離を置き、良い建築を黙々とつくり続けている建築家小泉文人さんにインタビューを行った。建築家の職能が多様化し、見えにくくなっている今、「建築家とは建築をつくる人」というシンプルな気持ちにさせてくれる小泉さんの言葉を拾い上げる。

ー1991年に東北大学建築学科卒業後、坂倉建築研究所に入所されます。坂倉建築研究所を選んだ理由をお聞かせください。

東京サレジオ学園を見て決めました。建築技術的にアクロバティックな何か特別なことをやっているわけではなくて、密度の高い設計を、何期にもわたりすごいエネルギーをかけてやっていました。またそれは初めからそこにあるような、風景として完結しており、美しく心地良いものでした。そこにしかない世界観が明確にあった。それは今でも自分が設計する上でのひとつの目標となっています。

ー坂倉建築研究所で学ばれたことは何ですか?

学生時代は、空間がなんたるかの認識が甘かった。どちらかというとドラフティングの世界や絵柄の世界に走る。それを基本的に変えたのが坂倉建築研究所です。
学生時代は求心的なスペースのコンセプトが好きで多用していました。ただ、その後、イタリアのカンポ広場を見に行って意識が変わりました。カンポ広場は扇形の空間で、求心性の強いきれいな広場として一般的に評価が高いのですが、その中心に立った時、あまり面白くないなと感じました。あくまで私の解釈なんですが。求心的なもので私が思い描いていた感覚と違うなと思いました。
ダヴィンチの「最後の晩餐」は、四角い単純な部屋で画面中心に消失点を持ってきている。空間を中心に向かって栄えあるものに見せている。求心的な空間は実は拡散していく空間であり、パラレルな空間の方が求心的な焦点を見出していると気づきました。その違いは大きく、空間に関する認識が変わりました。
また、空間からシークエンスへという意識がその後生まれました。コルビュジエの建築を実際に歩みると、光と壁の関係、置かれている物との関係がうまく変化する空間の心地良さがあります。この人はスゴイと思いました。コルビュジエは単純にプランだけで決めていない。施工は荒いけど、シークエンスと光を緻密に計算しています。内部にいて、どういうことが心地良いと感じるかを意識するようになりました。

ー2003年に退所され、独立しました。きっかけは何ですか?

東京サレジオ学園がなぜそれだけすばらしかったかというと、あの規模のものに、設計のいろはをわかっているベテラン5人くらいをはりつけ、そこでねちねち設計させるわけです。それで悪い建築になろうはずがありません。やっぱりいい建築ができるというのはそういう事情がないと出来ません。
坂倉では恵まれていました。組織の中にいると、特権階級みたいなものがあって、自分がスーパーマンになったように感じました。自分の実力以上に成果をあげることができてしまいます。恵まれた仕事ばかりしていると、建築の奥深い世界を知らないで、先生みたいになってしまいます。この先通用しないだろう、視野を広げたいと思いました。設計をやっている以上、一人で試してみたいというのもありました。でもそれは甘い罠だったのかもしれません(笑)。
事務所経営では、仕事をとるということ、営業するということ、コストマネージメントが必要です。今でもうまくやれていません。いや、全くうまくやれてない(笑)。
坂倉にいるとコンペの声がかかったり、自分が何もしなくても仕事がくる。独立するとこれがなくなるわけです。明日の飯を食う、子供を育てていく、そのプレッシャーは凄まじいです。

ー独立するまでは分からなかった苦労ですか?

うすうす感じてはいたけれど、自分の身に実際ふりかかってみると全然違います。

―表現者、設計者としてのスタンスをお聞かせ下さい。

設計者、クライアント、コンストラクターがいて、それぞれ3者の欲しい領域があり、その領域の外には環境、社会、敷地等の外部環境があります。たとえば、設計者としての領域は、建築として成立するような美的感覚を考える領域です。その中で設計している自分がいます。それら3者は絶対に一致しませんが、3者が重なりあう領域の中で作らなければなりません。その領域を超えて設計しようとするとお互い不幸になることを知っているから、それは逸脱しないようにしています。重なり合う領域を広げたり、自分の方に引き込んでいくためにはどうしたらいいかということを常に考えています。

―建築家としてメディアは意識していますか?

全くないといったらウソになります。時代とかメディアが求めているものが何かということは、知っておくべきです。しかし、建築は写真では表現できない奥の深い部分や個々のストーリーがあるはずなのにメディアが切り取る建築はほんの一部分です。雑誌に取り上げられることが目的ではなく、長い目でみたいと考えています。建築ができるとメディアに取り上げられもしますが、その後は落下するだけで消費されてしまいます。でもその後、ずっと使い続ける人がいます。建築は時間と共に変化していくわけで、何年も経った後にある風景としてきれいに使われていると嬉しいです。
メディアにはメディア独自の思想や、見せたいものというものがあります。読者ターゲットを意識するからです。そして建築雑誌の主なターゲットは、建築学生です。学生にウケがいい雑誌が主流になっています。雑誌に載るカッコイイ建築は、デザイン先行のかなり危険な部分を含んでおり、リスクを背負っているものもあります。普通におさめたらカッコイイ建築にはならないので、ある程度冒険をしなければいけません。
長く使えて、かつ建築・空間としても成立する範囲があるはずです。そのへんの見極めを考えたときに、雑誌に掲載されるレベルには抵抗感があります。坂倉では、サッシやパラペットの納まり等を安全側で設計するという教育を受けました。

ー今はどういう建築が求められていると思いますか?

バブル時と今では消費者が求める建築が変わってきています。
これまで、ポストモダンのようなカッコイイ建築、今でいう雑誌に載るような建築が求められていました。
最近は、そこで使う人が心地良い建築が良いという意識が世間には溢れているように思います。そういう意味では自分の方向性と一致しています。心地良い建築とカッコイイ建築、その差は大きいと思います。
自分も若いときは作品性中心主義だったかもしれません。しかし、オーナーを騙してでも自分の方向性に引っ張るというやり方はしたくありません。今はそのへんはわきまえて作っています。建築家としてぬるいと言われるかもしれませんが、長く使われてなんぼだと思います。建築は時間を経て変わっていく楽しみがあります。

ー具体的に設計された建築についてお聞かせください。

「田柄のすまい」では今までの住まいに対する思いを反映することができました。
南側に開かれたコの字型の配置がこのすまいの基本的な構成です。敷地と周囲、内部と外部の境界を感じさせないでつなげることを意図しています。

リビングにつながる土間(バイク置場)。ダイニング南側の開放的な窓に張り出した庇と木のデッキ(縁側のスペース)。それらが中間領域的な役割を担って内外の双方に適度なつながりをつくっています。恵まれた敷地で周囲が建てこんでいる住宅地においても外部との積極的なつながりを持つすまいを実現することができました。

一方、内部はひとつにつながりながら、すまいとして必要な機能が配置されています。バイクスペース-リビング-キッチン-ダイニング-水屋-和室といった機能の配列は、緩やかにつながりながら広がりの変化、明るさの変化を生んでいます。その変化が歩みを進めるに従いリズムをつくり豊かな空間体験となることを意図しています。南側に開かれたダイニングの開口は内部建具によって仕切られ開口の範囲を変更できます。防犯や日射の遮蔽とともに使い勝手にあわせいろいろな演出ができます。

特に自然光の取り入れ方には気を使っています。周囲からの視線をさけながらダイニングの家具下の床との取り合い部分、壁と壁のぶつかるところ、壁と天井のぶつかるところにスリット状の窓を設け、光を呼び込む。それが壁や床や天井に反射して空間に自然な浮遊感や奥行きをつくります。

リビングに設けられた吹き抜けはこのすまいの見せ場です。トップライトからの光がやわらかに降りそそぐ2層分の高さを持つ漆喰壁。それを背景にして象徴的にデザインされた階段が浮遊感を生み出しています。

このすまいのクライマックスは茶室です。シンプルな中で、全体の関係性を意識して設計しています。暗いところから入った時に、外から見えないようになっているのですが、光格子の面が正面に現れる。これが良い出来映えになりました。大工さんが優秀で、桟の太さとかをよくよく話をして寸法を決めました。この印象と似ているなと思ったのは、谷口吉生さんの豊田市美術館の展示室に取り入れられた光です。意識はしていませんでしたが、結果としてそうなりました。谷口さんが光の感じで狙ったのは、障子なのだなと思いました。

ー表現、設計思想についてはどのような考えをお持ちですか?

最高の状態は「無作為の作為」だと考えています。デザインするからそこに作為はあるんだけど、作為を感じさせない状態で、すべてのものが消化されている状態のことをいいます。
堀口捨巳の最後の茶室「かん居」は、デザインしているのにそれを感じさせない心地良さがあります。プロポーションの絶妙な関係、光、開口部の高さ、全部が響きあうとすごいハーモニーを織り成します。これを見たときに、これだ!と知ってしまいました。一生超えられないと思いました。

ーブログを書かれていますが、誰に向けて書かれているのですか?

自分のためです。忘れたくない大事なことを記録として残したいからです。年をとったからですね(笑)。かつて設計した時にかけた労力、エネルギーを忘れてしまうのは、人生としてすごい損害だからです。
それとは別に、一般の人を意識して、閉ざされた業界を広めるために書いています。設計の本質のことはブログでは何も語ってはいません。逆に言わない方がいいと思っています。説明責任がある場所では言いますが、あえて自分から求められてもいないのに語る必要はないと思っています。

ーメディアや建築業界の中で自分のポジションを確立したいとういうわけではないということですか?

特別そういう意識はないです。少し遠回しな説明になりますが、出来るだけ簡単にお話しします。
ローコストで仕事をしていて、限界も分かってきました。自分がある目標を持ったときに、今のやり方ではここまでしか出来なんだという限界がわかりました。もう少しステータスのある仕事をしないと次の展開が見えてこないということを感じつつあります。
億単位の住宅も中にはあります。しかし一方で今の時代は、新築することすらまかりならなくて、親の家を改修して2世帯住宅やシェアハウスにするというのがメジャーになっていたりと、2極化が進んでいます。
その中で自分がどういうスタンスで仕事をするかということをいつも悩んでいます。ローコストの中だけで仕事が出来たらそれが一番幸せなのかと思っていましたが、それだけでは自分が本当にやりたいことと違うと感じています。
大江匡さんや隈研吾さんみたいに大手を振って営業して、スタッフを抱えていい仕事をすれば経営が成り立つのだと思いますが、ただ私は坂倉流のモノにこだわって出来た建築が好きで、最後まで現寸で追いかけるような作法を坂倉で叩き込まれました。ですからこの先も、設計の本質を詰めていきたいという意識があります。そういうことをしていると孤立するのはしょうがないです(笑)。
ある日、「田柄の住宅」を訪ねたら、オーナーが光と壁の関係を見て、ソファーでぼーっと眺めて過ごしていました。あれは嬉しかったです。長く大事に使って頂くことが一番嬉しいです。

ー最後に、インタビューのテーマである”ウゴウゴ世界”についてご意見を伺えますか?

ウゴウゴしている世界というのは、私自信、肯定的にとらえています。また、ウゴウゴ自体を複雑な現象だと思っていません。ツイッター、ブログなどインターネットの世界観は、人間の内面の世界が外界を介さずに、直接つながってくる世界です。時間も関係ないですし、物理的な距離も関係ありません。そういうなかで、コミュニケーションのつながりの変化をもたらしているのが、ウゴウゴ感の本質だと思います。そして、今後それは歪を引き起こすでしょう。人間の社会が脳の都合のいいように組み替えられていく世界になりそうだからです。
例えば、某会社のEVに乗っていた時の話ですが、総務の人が書類を別の場所に移していました。その書類が名前でなく全て番号で整理されており、その番号通りに人間が動かなくてはいけないという世界を知りました。まさに人間が脳に使われているという世界です。それは人間にとってとても不幸です。
人間は身体感覚のバランスの中で生きているわけですから、身体と脳の歪はますます社会現象として問題になってくると思います。本来、人間は身体と脳がバランスをとりながら、身体に刺激を受けて、脳が発達してきた。これからはバランスをとることが必要になってくると思います。最終的にはそういったコンピューターの技術が物理的な人間の世界に対して新たな世界を築く方向性を示すのではないでしょうか。

ーそのベクトルが向かった先には何があるのでしょうか?

人間の身体や五感に対する心地良さだと思います。

インタビューコーディネーター:川上遊亀

小泉文人
1968年 秋田県鹿角市で生まれる
1991年 東北大学工学部建築学科卒業
1991年 株式会社 坂倉建築研究所 入所
1992年 東映大泉ビル設計・監理担当
1993年 サホロリゾートプロジェクト設計担当
1994年 富沢遺跡保存館設計担当
1995年 桐生市市民文化会館設計・監理担当
1998年 菊池 寛実記念 智美術館設計担当
2001年 川越市立美術館設計・監理担当
2002年 港北NTプロジェクト設計担当
2003年 坂倉建築研究所 退所
2004年 小泉設計 一級建築士事務所 設立
2005年 桜台のすまい
2006年 田柄のすまい
2007年 UNIT-T
2008年 田園調布南の住まい

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